第8回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト
 作文部門・最優秀賞受賞作品


 『 今いじめを受けているあなたへ』
        


                                             前田 栄磨

 今いじめを受けているあなたへ、

 私はいじめをこうして克服しました。

 40歳を過ぎ、家庭を持った今でもいじめの事は夢に見たり思い出すことがあります。
 『私はいじめられた。』だけで終わるのではなく、『いじめられたけど今はこうして生きている。』と感じる方が楽になれるので、自分の好きな事や創作活動に集中する様にしています。

 私に対するいじめが始まったのは、小学生の頃からでした。

 当時、時代はバブル全盛期でした。

 私の両親は自営の共働きで大変忙しかった割りに好景気の恩恵を受けることはありませんでした。

 他所の家は贅沢ができるのに実家ではできない状態で、そのことが原因で「貧乏人!」とクラスで笑われ、「貧乏が感染するから」と仲間外れにされたことが始まりでした。

 忙しい両親に相談しても「上手に立ち回れないお前が悪い。」としか返してもらえず、学校の先生からも面倒くさい子とそっぽを向かれ、病欠以外、学校を休む事は許されなかったので、学校と同級生と両親の板挟みで大変苦しかったです。

 下の弟と妹は明るく友達がたくさんいるタイプだったので、なぜ私がこんなに社交が苦手なのか両親は理解できないようでした。

 当時私の心の支えになってくれたのは、自営の店に置いてある漫画雑誌でした。ページを開けば夢のような世界が広がり、読んでいる時だけは、嫌な事を忘れられたからです。そして、私は読者としての立場だけではなく自分で絵や漫画を描けるようになりたいと思うようになりました。

 しかし時代は学歴主義に偏っていて『学校の成績が良くない=努力しない悪い子。どうしようもない子』という空気が流れ始め、毎日追い詰められ、疲れ切っていた私は早々に『なにもできない悪い子』の部類に入りました。

 先生・同級生・両親から「運動もできない、成績が悪い、頭が悪い。」と何度も言われる度に『自分はできないダメな人間なんだ。』と自分自身で刷り込むようになっていました。

 高学年になると思春期に入り、ますます自分に自信がなく、人と話せない、目が見れない、「いじめてください」と言わんばかりの人間になっていました。担任から見ても問題のある手間のかかる子としか見られず、何かあると「お前にだって問題があるのだから擁護するわけにはいかない。」と言われるようになりました。その空気を察したのか同級生達も今まで以上に私をバカにしたり、指をさして笑う様になりました。

 私の両親は相変わらず忙しく大変そうだったので邪魔にならないように、問題を起こさないように、相手に言い返したりやり返したりはできませんでした。

 私がやり返さない事でいじめは加速する一方で非常に悔しかったのを覚えています。

 中学校に進学すると小学校時代のメンバーは変わらないので口伝で私のいじめの過去が他所の校区から入学してきた子に伝わり「あいつはいじめてもいい奴なんだ。」という認識がされ、知らない子からも指をさされ馬鹿にされたり笑われたりする事がありました。

 成績の良い子達は勉強でストレスが溜まるらしく、それを正当な理由に日々証拠の残らない陰湿な言葉のいじめは悪質になりました。当時、仲良くしていた子とも関係が悪くなり、その子もいじめをする側に回ってしまい孤立したこともあります。

 靴に砂を入れる。
 上靴を隠す。
 教科書に落書き。
 すれ違いざまに悪口。
 石を詰めた雪玉を投げつける。

 一番気持ち悪かったのは、登校すると私の机の中に血まみれの使用済みのナプキンが目いっぱい突っ込んであった事でした。私がどんな対応をするのか楽しみだったのでしょう。その場にいた生徒は遠巻きに、そして興味深々で私を見たり、ひそひそ笑うのでした。ここまでされても周りの大人は「そんな事をされるお前にも原因がある。お前も悪い。」と冷たく突き放すのでした。

 その頃、私の中にはもう、誰かを信用するという気持ちはなくなり上辺だけの当たり障りのない態度で毎日を過ごすのが日課となっていました。ただ、どんなに辛くても親から注意されても自分の好きな事は諦めませんでした。今でこそ認知されつつありますが、当時漫画やアニメが好きな人・オタクと呼ばれる人は気持ちの悪い人生の脱落者として冷遇されていました。

 まだインターネットがない時代、仲間探しも作品発表する場もなく、それが仕事に繋がることは大変稀で「絵で食べていきたい。」と口にすれば頭がおかしい人・人生好きな事しかしない怠けている人の扱いを受ける事もありました。アニメや漫画は有害だけど、暴力や性的表現が露骨なドラマなどを未成年が見ても実写ドラマだし、流行りだから、まだ許されるというなんとも不思議な時代でした。

 そんな娘の姿に焦った両親は、私から趣味を取り上げようとした事もありました。

 高校時代は人気者ではないけれど普通に生活できて、前ほど露骨ないじめは受けませんでした。
 進学した高校では専門教科の成績が良く課題の一環『コンテストに作品を出品する』ではいつも何かしら賞を受賞していた状態でした。同級生からも「すごいね!」と褒められるようになりました。

 私はそこで気が付きました。

 『相手が変わる事を待つより、自分に強みがあればそれが防御の壁になり自分の身を守ってくれる。余裕ができれば、また新しい力をつけるための気力が湧いてくる』と。その日以来、私は自分の強みを作る事、強化することに集中しました。

 高校卒業後は大学・専門学校など進学という選択肢はなかったので就職を選びましたが、バブルが崩壊し人材があぶれている状態で初めて就職した会社からの扱いは酷いものでした。

 「お前の代わりはいくらでもいるから。」と、ろくに仕事を教えてもらえず、そして仕事が上手くいかないと役立たずと罵られたり、新人なんだから当たり前だと、八つ当たりや嫉妬、立場を利用してのパワハラなど、その他もいくつか辛い事がありました。

 余りに辛くて、「自分は何も悪くないのに嫌な思いをさせた相手が不幸になるのは当然だ」を相手の不幸を願った事もありました。今は恨みを晴らそうとは思いません。

 なぜなら相手の不幸を望んだり、仕返しをしたりすれば、いじめを行った相手と同じ立場になるような気がしたからです。

 いじめは人生を狂わせる卑劣な行為です。

 そしてそんな事に時間を割くよりも自分自身が彼らと同じ行いをしない様に気を付けて悔しさを自分の力に変える事に繋げる方が正しいと感じたからです。以降、私は相手の不幸は望まなくなりました。決して順調な人生ではありませんでしたが、なにも無駄な経験はなかったと実感しています。

 未成年のうちは逃げる事ができないので四面楚歌状態でとても苦しかったし、もしかしたら自分は不必要な人間で死んでいなくなった方がいいのではないかと思った事もありました。でもこの経験がなければ今の自分はいなかったかもしれないとも思います。

 正直に言うと本当は周りの大人たちに導いてほしかった。なので自分の子供には自分がされた様に追い詰める事はしないと決めています。

 もし今いじめを受けていて「自分には価値がない」と思っている人がいるとしたらそれはとても、もったいない事かも知れません。今そこが変わり時だと思うからです。

 確かに人より工夫・苦労・努力が必要で、「なぜ自分は悪くないのに自分が変わらなくてはならないのか?」と疑問に思うかも知れません。でも防御力にも武器にもなる『あなただけの何か』を習得したら生きていく上での強みが増えるという事に繋がりませんか?

 私はいじめを受けてからそう感じて色々な事を模索してきました。おかげさまで今も生きています。少しずつですが、自分の好きな事・得意な事で恩返しや人から「助けてくれて、ありがとう」と言われた時は心の底から本当に良かったと思いました。

 雀の涙程度ですが、自分の好きな分野の在宅仕事でお金を支払ってもらう事ができるようになりました。

 これから何があっても、いくつになっても私は好きな事を諦めないし、やめないと思います。

 そこが私の生きる原動力なので休んだり一時撤退しても『やめる』という選択肢はありません。まだまだ辛い事はありますが、死んだ方がいいのかもと思う事は無くなりました。

 私の場合のいじめを克服したり生きる原動力は『創作活動』でした。

 「過去の事だからもういいじゃない。忘れなさい。」という人もいますが、生きる原動力に繋がっているので。私は忘れる必要はなく上手に付き合っていけばいいと思っています。

 私の経験や考え方が何かの何処かで誰かのお役に立てれれば幸いです。